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東京地方裁判所 平成元年(ワ)219号 判決

第一事件原告(第二事件被告) 甲野一郎

右訴訟代理人弁護人 岡田優

第一事件被告(第二事件原告) 乙山春夫

右訴訟代理人弁護士 浅見東司

同 新井野裕司

第二事件被告 有限会社 甲野洋服店

右代表者取締役 甲野一郎

右訴訟代理人弁護士 岡田優

主文

一  第一事件原告の請求を棄却する。

二  第二事件被告らは第二事件原告に対し、別紙物件目録記載(二)の建物を明け渡せ。

三  第二事件被告らは第二事件原告に対し、各自、昭和六三年一二月三日から右建物明渡済みに至るまで一か月金五〇万円の割合による金員を支払え。

四  訴訟費用は、第一事件については第一事件原告の、第二事件については第二事件被告らの各負担とする。

五  この判決は第三項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

一  第一事件

第一事件被告(第二事件原告。以下「被告」という。)は第一事件原告(第二事件被告。以下「原告」という。)に対し、同原告から五五〇〇万円の支払を受けるのと引き換えに、別紙物件目録記載(一)の土地(以下「本件土地」という。)についてなされた東京法務局昭和五六年一一月一六日受付第三三三号所有権移転登記及び別紙物件目録記載(二)の建物(以下「本件建物」という。)についてなされた同法務局同日受付第三三四号所有権移転登記の各抹消登記手続をせよ。

二  第二事件

主文二、三項同旨

第二事案の概要

一  争いのない事実

1  本件土地については東京法務局昭和五六年一一月一六日受付第三三三号をもって、本件建物については同法務局同日受付第三三四号をもって、いずれも昭和五六年九月一三日売買を原因として原告から被告への所有権移転登記(以下「本件登記」という。)がなされている。

2  原告は、昭和五六年九月ころ、被告から五五〇〇万円の交付を受けた。

3  本件建物については、昭和六二年一二月三一日付で、賃貸人を有限会社乙山興産(以下「乙山興産」という。)、賃借人を第二事件被告有限会社甲野洋服店(以下「被告会社」という。)とする賃貸借契約書が作成されているが、乙山興産は、被告会社に対し、昭和六三年一一月七日到達の書面で、同年五月から同年一〇月までの月額五〇万円の賃料のうち一か月当り二五万円合計一五〇万円の支払を催告し、その後同年一二月二日到達の書面で賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。

4  本件建物は、原告及び被告会社が占有している。

二  争点

本件の争点は、本件登記のなされた原因が、売買契約によるものかあるいは譲渡担保契約によるものか、換言すれば、被告から原告に交付された五五〇〇万円が売買代金なのか消費貸借金なのかにあるが、争点に関する双方の主張は次のとおりである。

1  原告、被告会社の主張

原告は、昭和五六年七月から同年九月にかけて五五〇〇万円を借り受けたが、この返済を担保するため、本件土地建物について被告のために本件登記をした。右消費貸借については弁済期は定められず、利息は当初は月額二〇万円との約定であったが、その後、二二万円、二五万円と変更され、原告はこれを本件建物の賃料名目で支払ってきており、これとは別に謝礼の意味で毎月同額を支払ってきた。

2  被告の主張

被告は、昭和五六年七月二一日、原告から本件土地建物を五五〇〇万円で買い受けたものであり、昭和五六年九月からは被告会社に本件建物を賃貸してきた。家賃は当初は月額四〇万円であったが、その後変更され、昭和六一年一月からは四四万円になり、また、昭和六三年一月からは賃貸人を乙山興産とし、賃料を月額五〇万円にした。なお、賃貸借契約書では、税金対策上実際の賃料の半額が記載されている。

第三争点に対する判断

一  被告は、本件は売買であって、本件土地建物の所有権は被告にある旨主張している。これに対して、原告は、本件は譲渡担保契約であって、この契約に基づき原告は被告から五五〇〇万円を借りたものであると主張し、右主張に沿った証人甲野ハナの証言、原告本人の供述がある。原告の供述するところによると、原告は、昭和五六年七月当時、金融機関や金融業者に対する利息の支払等に追われたため、被告に金銭の借用を依頼し、被告がこれに応じて五五〇〇万円を貸したものであり、その担保として原告が本件土地建物の所有権を被告に移転したものであるというのである。

二  そこで検討するに、《証拠省略》によると、以下の事実が認められる。

1  原告は、昭和二八年ころ被告会社を設立し、以後本件建物の所在地で洋服店を経営してきた。本件土地は、昭和五年ころ、原告の父である甲野太郎が取得したものであり、同地上に昭和四九年一〇月、原告が父親の援助を受けて本件建物を建築した。甲野太郎は昭和五五年一月に死亡した。右太郎には、妻のほか六人の子供がいたが、本件土地は、長男である原告が単独で相続した。

2  被告は、昭和三四年五月、原告の妹である春子と婚姻し、以後原告及びその両親兄弟と親戚付き合いをしてきた。被告は、雑穀や醸造原料の卸販売等を業とする丙川産業株式会社を経営しているが、原告と被告との間には、昭和五六年になるまで、金銭の貸借等の関係は全くなかった。

3  原告は、父の死亡した時点で約三〇〇〇万円の負債を抱えていたが、その後も金融業者に対して、二五〇〇万円もの債務を負うにいたり、昭和五六年六月ころの時点では、金融業者に対する利息の支払で一か月一〇〇万円、金融機関(国民金融公庫、環境衛生金融公庫を含む)に対する返済まで含めると一か月の支払が一七〇万円にもなり、これの支払に窮する状態になっていた。そのため同年八月には本件土地建物について債権者の一人である国民金融公庫から仮差押を受ける状態であった。

4  原告と被告との間で、昭和五六年七月二一日、本件土地建物についての売買契約書が作成された。なお、右契約書では、代金欄には四五〇〇万円と記載されたものの、右は実際には五五〇〇万円と記載すべきところ税務対策上四五〇〇万円と表示したものであった。被告は、右同日に三〇〇万円を原告に交付し、以後同月二三日に一四五五万円、同月二九日に一三三〇万円、同年八月一〇日に二〇〇万円、同月二一日に二〇〇万円、同年九月七日に三〇〇万円、同年九月一一日に一七一四万四〇〇〇円を交付し、五五〇〇万円の授受は終った(以上の金額を合計すると五四九九万四〇〇〇円となり、五五〇〇万円には六〇〇〇円欠けるが、被告から原告に五五〇〇万円が交付されたことは当事者間に争いがない。)。そして、原告は、被告から交付された五五〇〇万円で金融業者や国民金融公庫などの金融機関に対する債務を弁済した。

5  被告と被告会社との間で、昭和五六年九月、被告を賃貸人、被告会社を賃借人とし、期間二年、賃料を月額二〇万円とする本件建物の賃貸借契約書が作成され、次いで、昭和六一年一月、右両者の間で、賃料を月額二二万円、期間を昭和六二年一二月三一日までとする賃貸借契約書が作成されている。また、昭和六二年一二月三一日には、乙山興産を賃貸人、被告会社を賃借人とし、期間を二年、賃料を月額二五万円とする賃貸借契約書が作成されているが、乙山興産は被告の不動産を管理するために設立された会社であり、被告が代表者になっている。

右のように、契約書の上では、賃料として二〇万円、二二万円、二五万円となっているが、被告会社からは、賃料名目で四〇万円、四四万円、五〇万円と賃貸借契約書に記載されていた金額の倍の額の金員が被告会社から被告に交付されていた。特に昭和六三年一月以降の賃料については、被告会社の代表者である原告により実際の賃料が五〇万円であることを認める念書が乙山興産宛に提出されている。また、最後の昭和六二年一二月三一日付の賃貸借契約書では被告会社は乙山興産に対して敷金三〇〇万円を入れるとの条項が新たに加わり、被告会社は右三〇〇万円を乙山興産に交付している。

6  昭和六三年になって、本件土地建物の所有名義を原告に戻してもらいたいとの話が原告からなされるようになり、被告も価格次第では戻してもよいと述べたこともあったが、被告の希望する価格と原告の希望する価格にかなりの隔たりがあり、まとまるに至らなかった。

三  右認定したところによると、少なくとも書類の上では、本件は本件土地建物の売買契約があったことを前提とした書類が作成されており、建物の使用関係も、所有権が被告に移転したことを前提として被告と被告会社、または乙山興産と被告会社の建物賃貸借契約となっているのであって、反面、本件が金銭消費貸借であることを窺わせる書面が作成された形跡は全く窺えない。

しかし、売買の形式をとっていても実際は金銭消費貸借であるという場合もないではないから、更に検討するが、金銭消費貸借だとすると次にみるようにいくつかの疑問がある。

1  原告の主張によると、五五〇〇万円については返済期は特に定められず、利息は当初月額二〇万円と約定され、これを賃料名目で支払っていたというのであるが、五五〇〇万円もの大金が返済期日を定めずに貸借されることは通例ではない。

また、利息が月額二〇万円だとするとこれを年利にすると年四・三六パーセント余ということになって、昭和五六年当時の金利としてはあまりにも低利にすぎて不自然であり、月額四〇万円だとすると年八・七二パーセント余となって、それ自体金利として必ずしも不自然な数値ではなくなるものの、二で認定したように右の金額は昭和六一年一月と昭和六二年一二月に改定されているのであり、利息とすればこのように改定されることは不自然といわねばならない。

そのうえ前記認定のように昭和六二年一二月三一日付の賃貸借契約書においては新たに敷金三〇〇万円を交付する旨の条項が加わり、被告会社はこれを現実に交付しているのであって、消費貸借だとすると右金銭の授受の説明は困難と思われる。

2  更に、借入なら高利の金融業者に対する弁済資金のみを借りれば足りる筈であり、金融機関、特に国民金融公庫や環境衛生金融公庫などに対する弁済資金まで借りる必要はないものと思われるが、現実には前記認定したようにこれらの分も被告から交付された金員で弁済しているのである。

3  次に、証拠によれば、本件土地建物の所有名義は被告に変わった際の登記手続に要した費用は被告が支払っていること、所有名義変更後の固定資産税や本件建物の火災保険料も被告が支払っていること、本件建物については昭和五八年と昭和六〇年の二回にわたり修繕がなされているが、その費用は被告が負担していることなどの事実が認められる。原告本人の供述中には、登記手続費用は被告と折半した、修繕費用も被告に払ってもらったがその後原告が被告に支払ったとの供述があるが、右には裏付けとなるものがなく、被告本人の供述にも照らし措信できない。

仮に本件が原告主張のように譲渡担保だとすると、右認定の登記手続費用、固定資産税、火災保険料、修繕費用などは原告が負担してしかるべきところ、これらを被告が負担しているのであって、本件が譲渡担保であるとするには疑問を抱かせるものである。特に火災保険については、原告も名義変更後は自らは負担していないと供述しているのであって、本件建物の所有権の移転があったことを推測させるものである。

4  本件の契約書では売買代金額が税金対策のため五五〇〇万円とすべきところを四五〇〇万円としていることは前記二で認定したとおりであるが、右は譲渡所得税を減額するための措置と考えられるところ(原告の供述によると、そのためか原告は譲渡所得税を負担しなかったという。)、真実貸金ならその旨を明らかにした登記をすれば右のような税金対策をする必要はないものと思われる。

5  被告は、原告に五五〇〇万円を渡すため、被告が所有していたゴルフ会員権、株式や不動産を売却し、あるいは定期預金を解約し、富士銀行から一三〇〇万円を借りていることが認められるが、仮に原告への貸付だとすると、何故に自分の財産を処分し、銀行から借り入れてまで被告が原告に貸さねばならなかったのか合理的な説明がつかない。原告は実の弟や妹からも借入れを断わられているのである。不動産投資として買ったとするならある程度無理をして資金を作ることが考えられるのである。

四  右のように見てくると、本件が原告主張のように譲渡担保契約、金銭消費貸借契約であるとするには疑問があり、原告主張を裏付けるような書証がないことにも鑑みると、原告主張に沿った原告本人の供述、証人甲野ハナの証言はにわかに信用できないものといわざるをえない。他に原告主張事実を認めさせるに足る証拠はない。したがって、原告の請求はその余について判断するまでもなく失当である。

五  かえって、二で認定した事実、三で判断した事柄に、《証拠省略》を総合すると、金融機関からの返済請求や高利の金融業者に対する利息の支払に窮した原告は、弟や妹に融資を依頼したが、これを断わられたため、被告のところに借用を申し入れたこと、しかし、被告は、原告の返済能力に疑問を抱いたこともあってこれを断わり、本件土地建物を売るなら買うと言ったところ、原告がこれに応じたため売買の話になったこと、その結果、被告会社が本件建物を被告から賃借し、従前通り原告や被告会社が本件建物を利用するという前提で代金が債務の弁済に必要な五五〇〇万円と定められ、昭和五六年七月二一日、原告と被告との間で売買契約が締結されるとともに、売買代金五五〇〇万円の支払が完了した昭和五六年九月に被告と被告会社との間で本件建物の賃貸借契約が締結され、以後被告会社が賃料を支払ってきたものであり、本件登記は右売買契約に基づいてなされたこと、昭和六二年一二月三一日には乙山興産が賃貸人となり、賃料も月額五〇万円に改定されたこと、以上の事実が認められる。

原告は、本件土地は父親からの単独相続であり、他の兄弟には相続放棄してもらったものであるから、このような土地を売却する筈がないと主張するが、当時とすれば、債務を返済できない状況にあったと考えられるから、いずれかの時点で処分をせざるをえなかったものと思われる。したがって、単独相続した財産であるからといって売却しなかった筈とはいえない。

次に、原告は、本件土地建物は、昭和五六年当時でも一億三〇〇〇万円の価格があり、高利の金融業者でさえ一億円以上に値踏みしていたのであるから、五五〇〇万円という安い価格で売却する筈がないと主張し、原告本人の供述によれば、原告の債権者である高利金融業者が原告に本件土地建物を一億円で引き取る旨の申し入れをしたことが認められる。しかしながら、原告の供述によっても、一億円で売却する場合は建物の明渡を前提としていたというのであり、原告側に特段の敷金、保証金などを要求せずに本件建物の借家権を認めた本件売買の価格と一概に比較できないし、当時とすれば、原告や被告会社は本件建物を明け渡すことはできなかったであろうから、明渡をしないで済むなら多少相場よりも安いとしても、致し方なかったものと思われるのであって、価格が安かったというだけで前記認定を左右することはできない。

また、原告は、被告が所有名義を原告に戻すことを承諾したことがあることをもって譲渡担保の証左だとしているが、前記二で認定したとおり被告は価格によっては所有名義に戻してもいいと述べたが、結局価格についての原告と被告の折り合いがつかなかったというのであるから、こうした事実を捉え、譲渡担保の証左だとはいえない。

したがって、本件土地建物は、原告と被告の昭和五六年七月二一日付売買契約により所有権が被告に移転し、この契約に基づき本件登記がなされたものと認められる。

六  本件建物については、当初被告と被告会社との間に、後に乙山興産と被告会社との間に賃貸借契約がなされており、昭和六三年一月一日以降の賃料は月額五〇万円と定められていたと認められるところ、本件建物を原告及び被告会社が占有していること、本件建物の賃貸人である乙山興産から昭和六三年一一月八日到達の書面で賃借人である被告会社に昭和六三年五月以降同年一〇月までの月額賃料五〇万円の内半額の二五万円の支払を求める催告がなされたこと、その後同年一二月二日到達の書面で乙山興産から被告会社に賃料不払いを理由として本件建物の賃貸借契約を解除する旨の意思表示がなされたことは当事者間に争いがない。被告会社が催告された賃料を支払ったとの主張、立証はなく、かえって、原告、被告会社は本件建物の賃貸借契約を否定し、催告された金員を支払わなかったことが認められるから、本件建物の賃貸借契約は解除によって終了したものと認められる。

そうすると、原告及び被告会社は本件建物の占有権原を失ったものであるから、昭和六三年一二月三日以降は不法占有となり、原告及び被告会社は本件建物の所有者である被告に対して、本件建物を明け渡し、かつ、一か月五〇万円の割合による賃料相当損害金を支払うべきである。したがって、被告の請求はいずれも理由がある(但し、建物明渡を命ずる部分の仮執行宣言は相当でないから付さない。)。

(裁判官 大橋弘)

〈以下省略〉

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